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東京地方裁判所 平成6年(ワ)1953号 判決 1994年8月29日

主文

一  被告は、原告に対し、金一二七円及びこれに対する平成五年一二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

第一  請求

被告は、原告に対し、金九〇万円及びこれに対する平成五年一二月二八日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告に普通預金口座を持つ原告が、社会保険料の口座振替を被告が預金不足を理由にしなかつたことは債務不履行に当たるとして、損害賠償を請求(損害額三〇〇万五六〇〇円のうち九〇万円の一部請求)した事件である。

一  争いのない事実

1  原告は、被告に対し、平成元年二月九日、健康保険料、厚生年金保険料及び児童手当拠出金(以下「社会保険料」という。)の預金口座振替による納入を依頼した。被告は、この依頼を承諾し、以後「健康保険厚生年金保険保険料預金口座振替に関する約定」(以下「約定」という。)に従つて、毎月社会保険料を納期の最終日に原告の指定預金口座(以下「本件口座」という。)から預金口座振替により納入してきた。

2  約定によれば、「振替日」において納入告知書記載の金額が預金口座から払い戻すことのできる金額を超えるときにのみ、被告は、口座振替納入することなく納入告知書を返却してよいこととなつている。

3  平成五年八月三一日、午後三時現在の本件口座の残高は一八万九三七四円であつたが、その後、原告が自動預金機により一五万円を預け入れたので、同日午後三時の被告の営業時間の終了後における最終的残高は、三三万九三七四円となつた。

4  しかし、被告は、同日の営業時間終了時である午後三時現在における残高が不足しているとして、同年七月分の社会保険料三二万二二四四円の口座振替による納入をせず、納入告知書を返却した。

5  そのため、同年九月五日、中野社会保険事務所から原告に対し、保険料預金口座振替納付未了の通知がされた。

二  争点

1  約定でいう「振替日」は、当日の営業時間の終了する午後三時までを指すのか、それ以降を含めてその日一日を指すのか。

2  損害額

第三  争点に対する判断

一  約定でいう「振替日」の意味

1  《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

(一) 約定には、「振替日」の意味について定義する趣旨の文言はなく、単に「振替日において」とされているだけである。また、振替納入指定日についても、「納期の最終日(休日の場合は翌営業日)」とされているだけである。

(二) 本件口座は、普通預金口座であるところ、被告の普通預金規定には、口座振替に関する規定はなく、また、口座からの払い戻し等に関する時間の定めはない。

(三) 自動預金機の利用について定めた被告の「ハートのマネーカード・貯蓄カード規定」には、振込機による振込に関しては、「窓口営業時間終了後および銀行休業日に振込機を使用した振込の依頼があつたときは、その振込の手続は、翌営業日の窓口営業時間内に振込の依頼があつたものと同様に取り扱います。」との定めがあるが、預金機による預金の預入れ、払出機による預金の払戻し及び振替については、このような定めはなく、口座振替に関する定めもない。

(四) 被告がマネーカードを新たに発行する際に顧客に送付する文書には、利用時間について、「平日:午前8時45分~午後7時または6時 土曜日および日曜日(稼働店のみ):午前9時~午後5時(ご入金を除く)なお<ハートの銀行>からカードでお振り込みもできます。ただし、土曜日・日曜日および平日午後3時以降はお振り込みの予約受付となります。」との説明があるが、午後三時以降の入金があつた場合の口座振替についての説明はない。

(五) 普通預金通帳の上では、原告が平成五年八月三一日午後三時過ぎに自動預金機で振り込んだ一五万円は、同日の日付で預け入れがされたことになつており、同日の最終残高は三三万九三七四円と記帳されている。また、被告の発行した同日現在の残高証明書においても、原告の普通預金の残高は三三万九三七四円とされている。

2  以上の事実を前提に、約定の「振替日」の意味を検討する。

被告は、銀行法施行規則一六条一項が、銀行の営業時間は午前九時から午後三時までとすると規定していることを根拠に、右「振替日」とは、振替をする日の午後三時までのことを指し、午後三時の時点で預金額が不足しているときは振替義務はないと主張する。確かに、右規定のとおり、銀行の通常の営業は午後三時で終了し、窓口は閉鎖されることは、広く知られた事実である。しかしながら、午後三時を過ぎても、銀行の窓口業務以外の業務は夕刻ないし夜半まで続けられていることもまた、公知の事実である。また、銀行は、自動預金機及びカードの利用を通じて、午後三時以降も預金の受入れ等の営業活動を行つていることも、前記認定のとおりであり、右規定が午後三時以降の営業行為を一切禁止するものではないことが明らかである。このような状況の下において、前記認定のとおり、被告の作成に係る諸規定の中で、振込機を使用しての振込についてのみ午後三時以降の手続が翌日回しになることを定め、顧客にその旨通知するのみで、社会保険料の口座振替については、何らの留保なしに「振替日」における預金口座の金額を基準に振替をするか否かを定めているのである。そして、預金の預入れは、午後三時以降も自動預金機を使用すれば何らの支障なく行うことができ、それが当日の預金として記帳されるということも、前記諸規定の解釈上明らかであり、かつ、利用者の周知しているところである。そうすると、一般人の常識からするなら、特に断りのない以上、午後三時以降であつても、自動預金機を用いて預入れをした結果、その日の最終の預金残高が納入告知書記載の金額以上になれば、口座振替をしてもらえると考えるのが自然である。

被告は、午後三時以降も自動預金機による預金の受入れ等を行つているのは、顧客に対するサービスとして機械を用いて便宜取り扱つているものであり、口座振替は本来の業務に属するから、銀行法施行規則一六条一項の定める営業時間内に行われるものであると主張する。確かに、そのような説明を聞いた上で前記諸規定を見ると、口座振替について時間の限定がされていないのは、規定の作成者である被告の主観的意思としては、右条項の適用があるから断るまでもないとの趣旨であるというのも理解できないではない。しかし、これら諸規定は、被告が一方的に作成し、顧客との取引に例外なく適用されるのであり、被告が誤解を避けたいと思えば、いくらでも文言を加除訂正することができるのに対し、顧客の側は事実上これを受け入れて取引に応ずるほかはないのであるから、趣旨の不明瞭な部分を作成者である銀行の主観的な意思に基づいて解釈するのは妥当ではなく、顧客の常識にのつとつて解釈するべきである。そして、午後三時に銀行の窓口業務が終了するというのは顧客の常識ではあるが、自動預金機によつて午後三時以降に預け入れた預金によつては口座振替をしてもらえないということが顧客の常識であるとはいえない。

被告は、午後三時以降も自動預金機による預金の受入れを行つているのは、コンピュータシステムの利用が可能であるからであり、これに対し、社会保険料の振替業務は手作業によるものであつて、銀行員は午後三時現在の預金残高を最終確認して処理を行うものであるから、実際に営業時間による処理が必要とされると主張している。確かに、現実の被告における処理はそのようなものと認められるし、当日のうちに振替先に入金するためには、一定のタイムリミットがあり得ることも推測がつかなくはない。しかし、被告が内部においてどのような処理をしているかは、顧客の知り得るところではなく、口座振替は一般には「自動振替」と観念されているものであり、銀行業務のコンピュータ化が進んだ現在では、預金の預入れがされれば自動的に引き落とされると理解したとしても、銀行業務に疎い者の考えと非難することはできないというべきである(前記諸規定は、銀行業務に疎い者をこそ念頭において定められるべきものである。)。

以上によれば、約定にいう「振替日」には、午後三時以降自動預金機の利用時間終了時までを含むものと解するのが相当であり、銀行法施行規則の前記規定は右解釈の妨げとはならないものというべきである。

したがつて、本件において被告が社会保険料の振替をしなかつたのは、約定に違反するといわなければならない。

二  損害

原告は、被告の振替懈怠により、<1>社会保険料の納期限の翌日である平成五年九月一日から原告が完納した日の前日である同年一〇月一四日までの四四日間の延滞金五六〇〇円、<2>資金繰りに時間をとられ本来の業務ができなかつたことによる収入減二〇〇万円、<3>右による慰謝料一〇〇万円の損害を受けたと主張している。

しかし、《証拠略》によれば、原告は、同年八月三一日の午後三時以降に本件口座の残高を確認し、それが予め知らされていた社会保険料の額に不足しており、一五万円を入金すればちようど支払に足りると考えて入金したこと、入金後の残高も自動預金機から出された紙片により確認したこと、その翌日、原告は、再び自動預金機を利用して、残高(前日の最終残高と同じ三三万九三七四円)を確認の上、三三万円を払い戻したことが認められる。右事実によれば、原告は、本件振替日の翌日、残高を確認した時点で、振替がされなかつたことを当然に知り得たものと認められる。原告本人は、他からの入金があつたため振替があつたにもかかわらず残高が三三万円以上となつたと考えたと供述するが、そうだとすると残高が前日と全く同じであるというのは不自然であり、残高が同じであるということ自体に気付かなかつたとすれば、前日の残高確認の経緯からして、うかつというほかはない。そして、この時点においては、右残高をもつて社会保険料を支払うことは十分に可能であつたと認められる。そうすると、原告は、実際に延滞金五六〇〇円を負担しているが、そのうち被告が約定に従つて振替をしなかつたことと相当因果関係がある損害といい得るのは、平成五年九月一日の一日分のみであり、その額は、四四分の一に当たる一二七円ということになる(もつとも、健康保険法一一条及び厚生年金保険法八七条によれば、納期限を徒過しても督促を受ける前に納付すれば延滞金は課されない上、一日分は一〇〇円に満たないから切り捨てられることになるから、実際にその日のうちに納入していたとすれば、損害はないことになるが、本件では結果として実際に四四日分の延滞金を課されているので、その四四分の一を損害と認めるのが相当である。)。

原告の主張するその余の損害については、以上に判示したところから、これを認めることができないことが明らかである。

(裁判官 大橋寛明)

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